総合学習にしても、それ自体に私は反対しているわけではない。
力のある学校や教師がやる分にはいいのですよ。
ただ、条件整備の議論もないまま、全国一律の『総合的な学習の時間』にしてしまったことが問題なわけです。
つまり、そういう理念が実現する時の仕組みや、税金の使い方の話なのですよ。
ひとつひとつの教室レベルの問題と制度の問題を分けて論じなければいけないということは、かなり早い時期から指摘してきましたが、それにつきるのです。
公立学校、公教育というのは、どこかで必ず税金の使い方の話をしなければいけない。
それなのに、税金の使い方の話をいっさい抜きにして、授業論や子ども論になってしまうからおかしくなるのです。
今だって総合的な学習の時間をやることにはまったく反対していませんよ。
ただ、やり方によっては、どんな問題が生じるか、ということを言っているわけです。
K山英男さんのように力のある教師がやる場合と、そこまで考えずに流行にのって百マス計算のドリルだけある教師が出てきた場合にどうなるか、ということ。
この問題は、総合学習の危うさと同じで、そうなればそういうことを私は言うようになるでしょう。
そういう意味で、私自身は授業論とは別のところで議論をしているつもりです。
授業より、実際の結果がどうなっているのかを制度のレベルで問題にする視点がこれまでの教育研究には弱かったですから。
S藤学さんの話に戻すと、彼はカリキュラムの専門家でもあり、教授論の専門家でもある。
S藤さんの目から見ても、今の改革の流れの中で、あれだけの教育内容を削って総合的な学習を進めることに対しては、『学びからの逃走』を主張して批判をしていたわけだから、その点では一致点は少なくない。
それに、S藤さんも、教育の階層差の拡大については問題視していた。
私の研究などにも言及していたし。
こういった点は共通していると思っていたわけです。
それにS藤さんが実際に学校改革に関おっているところに私も出かけてみると、確かに良くできている。
うまくいっているようにも見える。
教師の同僚性をどうやって育てていくかとか、これまでと違う発想で授業研究をどうやるか、いかにして会議の数を減らすか、などなど。
そういうことができているならば、できる理由を探ればいいのであって、否定する必要はどこにもない。
それで、総合学習的なこともできているなら結構なことですよ。
もう一方で、たとえばK藤幸次さん(J智大学文学部)たちが愛知県の緒川小学校や卯の里小学校でやっている実践についていろいろなところで紹介しています。
転職の解説だと確かに冒頭で結論を言ってしまうパターンもあるのかもしれないのですが、転職について読んでみると私もうまく説得ができませんでした。
転職 エージェントついて知ってもらうため、転職 エージェント広報活動などに積極的に取組んでいます。